ごめんなさい。
日記も04まで来ましたが、まだ、ちゃんとした自己紹介をさせて頂いておりませんでした。
今回はちょっと自分たちのことをお話しさせて頂きたいと思います。
僕たちチームは、TofuONE/トフワンといいます。
いま、行動アシスタントアプリ「PROPELa/プロペラ」をリリースに向けて鋭意製作中です。
いわゆる「IT」を扱う会社ですが、その本質はモノづくりの職人集団だと思っています。
モノづくりにおいて僕たちの目指すべき理想像は、実は「とうふ」です。
ん?トーフ?
そう、「とうふ」
「 豆腐:tofu = soybean curd 」です!
あの白くて四角くて柔らかいヤツ。。(笑)
出典:http://www.sagamiya-kk.co.jp/trivia/img/main.jpg
豆腐って、僕たち日本人には余りにも身近で、ありふれていて、単純なものだから、
そこに美を見出したり、いちいちその存在の凄さに気を留めたりしないわけだけれど、
人間が生み出したひとつの「プロダクト」としてみれば、
実はその在り方に、深〜い意義を見出すことが出来ます。
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腐ってなくても「豆腐」?
本題に入る前に、ちょっと、気になることを解決しておきましょう。
豆腐って、腐っていないのに、何故「腐」なのか。
まずはその漢字をよく見てみます。
漢字は、素晴らしく良く組織されたインフォメーションデザインの典型ですから、
そのデザインに込められた情報を読み解くわけです。
- 「广」
广(まだれ)は、崖を利用した、半分岩に埋没した家屋(岩屋)の形を象ったもの。
暗くひんやりした空間の特性から、岩屋は、仏像の安置所や礼拝所、納屋や倉として
使われることが多かったようです。 - 「府」
上記のまだれは、実は、この文字の一部でした。府には、
モノを詰めてしまい込む倉の意味があります。モノがびっちりとくっ付いているイメージ。 - 「肉」
府の下に配置かれた肉は、この倉に貯蔵されたものを示しています。
古来中国において、倉の中で肉を熟成させるという習慣があったのかは知りませんが、
何れにしても、「暗い岩屋の倉の中で、びっちりと詰められた肉が熟成されている、、」
そんな景色が「腐」という、たった一文字のタイムカプセルから飛び出して来るわけです。
インフォメーション・ヴィークル「漢字」。恐るべし、です。
つまり、「腐」の字義としては、熟成させるとか発酵させる、ということになります。
必ずしも腐っていないですね。(笑)
そして熟成されたお肉が柔らかくなることから転じて、
「やわらかい、ぶよぶよした、寄せて固めた」等の状態を表す言葉となりました。
日本語でいう「腐る」という意味も無いわけではないようですが、
こんな成立ちを知ればむしろ、腐るという狭い用法の方がマイナーなのだと理解出来ます。
漢字は、その長い歴史の中で意味が狭められ、歪曲されることもある。
この偉大なインフォメーションデザインのユーザーである僕たちは、
古代のデザイナー達にもっと敬意を払い、その運用にもう少し気を配るべきだと思うのです。
どうでしょう?
これで「腐」という文字に対する不当なマイナスイメージを、少しは拭えたでしょうか?
つまり「豆腐」は、「やわらかい豆を寄せて固めたもの」という意味だったんですね。
まずは、おとうふさんの名誉のために。
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哲人の遺した言葉
さて、では本題に入ります。
プロダクトとしての豆腐、その深い存在意義について。
僕が尊敬する20世紀の建築家に、白井晟一(1905〜1983)という人がいます。
「象徴的な形態と光に対する独特な感性(Wikipedia)」の持ち主で、
モダニズム建築の主流には迎合しない孤高の人でした。
今も見ることができる建築作品として、
松濤美術館や、親和銀行(本店と複数の支店)、麻布台に聳えるノアビルなどが有名です。
出典:http://stat.ameba.jp/user_images/20120429/14/craftmanship/79/1f/j/o0389058711942571256.jpg
出典:http://img.allabout.co.jp/gm/article/374102/1.jpg
若い頃から美学や哲学に傾倒した彼は、シベリア経由で渡欧しベルリン大学で哲学を修得。
それゆえ、その言論や建築作品は、哲学的含蓄を濃く映しています。
そんな白井先生が、日常の思考を綴った「無窓」(晶文社) というエッセイ集があり、
その中に「豆腐」についても一節を当てて、独特の素晴らしい考察を遺されています。
これからイメージして頂くのは、中国の豆腐でなはく、より柔らかい日本の豆腐。
しかも木綿よりも、絹ごしのお豆腐がいいです。
では、僕たちに豆腐というものの存在の意義を改めて気付かせてくれる、
彼の観察の一端をご紹介しましょう。
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『…これ以外のものをゆるさない形と、色と、物理的性質に到達し、
いや、人間のために満足な「用」となって奉仕するものを完全というならば、
われわれは豆腐において、具体的な生活の目的のために具現された、
ひとつの「完全なるもの」を見ることができる…
(中略)
…あらゆる部分が弁別できないほど、緊密に結合して一つの全体のうちにとけこみ、
渾然たる調和に統一されている、そういう完全なる単純…
白井晟一 (「豆腐」より抜粋 ) 』
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どうですか、この言いっぷり!
つまりは「用」としての純粋さや完成度と「常」としての身近さや透明度が、ハンパないと。
これは、本当に凄いことなのです。
あまりにも身近で、ありふれていて、単純で、誰もその存在を特別扱いしたりしないのに、
必要十分な機能を備え、日本中で毎日のように求められ、きちんとそれに応えて行く。
しかも何百年もの永きに渡って。
自分もいつかそんなモノをつくってみたい… そう思わずにはいられません。
プロダクトとしての豆腐が到達しているその高みを、いま、僕たちも目指そうとしています。
そんなわけで、恐れ多くもそんなお豆腐様にあやかって、
自分たちの会社の名前に「Tofu」を入れたという次第です。
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もうひとつの願い
そしてさらに(!)
実は、Tofuというのは、Time Oriented Functional Utility の略でもあります。
つまり時間を志向した機能的で有益なもの。
僕たちとて、モノづくりが出来れば何でも良いわけでもなくて、
「時間を主題に、人の役に立つ道具」を作りたい、という強い思いがあるんです!!
すると次には、「なんで時間なの?」とか、
いろんな表現手段があるのに、なんで「アプリ」だったの?とか、
「そういえば、ONEの説明は聞いてないよ!」とか言いたくなっちゃいますか?
う〜ん、でも長くなってしまうので、その話はまた後日。。