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プロペラ日記 06:「時間」にカタチはありますか?

行動アシストアプリ「PROPELa」のリリースまで、ついにあと4日となりました!
いよいよ開発も最終段階。「審査」突入です。

アプリをapp storeで販売/配布するためには、公開前に審査があります。
Apple の Developer サイトには、アプリケーション審査に関して次のような説明が。

審査プロセスの目的は、App Store や Mac App Storeで公開される
アプリケーションが信頼できるものであり、期待どおりに動作することと、
露骨または不快な表現が含まれていないことを確認することです。

販売するのに相応しいものであるか、技術、コンテンツ、設計の基準に従って審査を受け、
通過する必要があるのです。

僕たちも、3日前にその審査申請に滑り込みで提出。
審査に掛かる平均時間(日数)からすると、実はギリギリのタイミングでした。
リジェクトされないよう作り込んだつもりなので、あとは委ねるしかありません。
ティザーサイトのカウントダウン通りに行きますように、、
いま、僕たちチームも祈るような気持ちでいます。

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さて。

前回は「空間」から「時間」への興味の拡大について触れました。
今回は、果たして僕たちはその時間の正体というものに迫れるのか、という、おハナシ。

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時間のカタチを取り出す! 

もう随分前の話になりますが、「人にとって時間とは何か」ということを理解するために、
僕は、時間の「姿」なるものを想像しようとしていました。

建築家的なアプローチかも知れませんが、
僕にとっては、モノゴトへの理解と、スガタカタチの構造的な理解はほぼ同じことです。
なので、時間というものに、もし納得のいく姿を与えることが出来れば、
それはそいつの理解にも一歩近づくことになるのではないかと思ったのです。

けれど、相手は「時間」です。
抽象的な概念はあるものの、具体的な形があるわけではありません。これがなかなか難しい。

例えば時計は、その抽象概念の一部を上手く物体に落とした例ですね。
何が素晴らしいかと言えば、あの、回転運動の発明です。
あれは最小の仕掛けで無限を表現しています。
始点も終点もなくずっとグルグル廻り続けるわけです。

でも、あれが時間の形だというのなら、それは乱暴過ぎると思うのです。
だいたい、12時間で1回転というのは地球のサイクルから見て身勝手な設定だし、
12時間よりも長い時間、例えば一週間や一ヶ月という単位、季節、あるいは歴史を
そのコンディションとして映すことも出来ない。
そう言えばMoon Phaseが見える腕時計なんかはあるけど、殆ど装飾の域に留まっています…

別のカタチ。
例えばカレンダーは、プロペラ日記03で触れたように月の単位が基本だとしても、
ひと月ごとに紙をめくるもの、一年をポスター状に一枚で一覧させるもの、いろいろある。
現行のグレゴリオ暦ばかりでなく、旧暦で月の周期に寄り添おうとするものもあるけれど、
何れにしても月を基準に時間を把握すると、今度は1日の時間経過へのフォーカスが難しい。

人間の活動は、1時間、1日、1週間、、という風に基準となるあるリズムを必要としていて、
そのリズムの中の時間的領域を制御するため、スケジューラーと呼ばれるものが登場する。
そこには様々なニーズに対応した工夫がされて、一日の活動を18時間もしくは24時間で
記録出来るもの、見開きで1週間、2週間のヴューなど短くセグメントするものから、
逆に一年の全ての日を一直線上に並べた上で、つづら折りに畳んだようなものまであります。

螺旋時計
参照:http://bigsounds.tumblr.com/post/15574352112/i-have-patience-she-said-sure-he-replied

限りなく普遍的で、限りなく主観的なもの。

確かにそれぞれよく考えられいて素晴らしいのだけど、僕の考える時間のカタチとは全然違う。
型に押し込めた時間ではなくて、実感としての時間の性質を出来るだけ再現したかった。
限りなく普遍的な存在でありながら、同時に限りなく主観的に変質するもの、、
当時、僕の考えていた時間の性質を言葉にしてみると、下記の4つの大きな特徴があります。

  • 1、シームレスに繋がる。
      今日と明日、今週と来週、今月と来月、今年と来年の間が継ぎ目無く繋がっている。

  • 2、伸縮自在である。
      12時間にフォーカスすること、一年を計画すること、千年を俯瞰することも出来る。

  • 3、地球の運動とリンクする。
      人間が地上で感得する時間は、宇宙の中での地球の動き、太陽と月との関係とリンク。

  • 4、レイヤーを持つ。
      過去から未来へ一方向にフローするも、モード別に輻輳する幾つものレイヤーを持つ。

言葉上で定義をして、そのカタチを探る。試行錯誤が始まりました。
まず、手許にある紙を折り畳んで、自分用のカレンダーをつくり始めます。いや、、
カレンダーであり、スケジューラーであり、時計であり、年表でもあるような時間の記述法、
まだ世の中に存在しない時間の具象化の方法を発見しようとしました。
これまでの歴史で人類がまだ試していないノーテイションがあるかも知れない。
微かな希望にすがって、僕はひたすら、紙を折ったり、丸めたり、刻んだり、繋いだり、、
とにかく試していたのです。

けれど、今思えば、その手法は始めから無理を含んでいました。
だって、時間という無限を、紙面という有限の上に乗せようとしていたのですから。

完全に袋小路に入ってしまったと思われた、このあと、、
2つの大きな出来事によって、プロジェクトは転機を迎えます。

次回は僕にとってだけでなく、世界中が衝撃を受けた「あの事件」のことと、
天の導きによる出会いについてお話ししますね。

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プロペラ日記 03:言葉から生まれるプロダクト

前回、カレンダーとスケジューラーの違いに触れました。
カレンダーからスケジューラーへの機能の変化はユーザーの欲望に沿った進化であって
これからもまた、別の機能と相応しい呼び名を生みだす
だろうと。

僕たちは発想の源としての言葉の力を信じているところがあって、本来の意味への探索や
名付けという行為をとても大切に思っています。
今回は、ひとつの言葉をどのようにプロダクションへ繋げるのか、簡単な例をご紹介します。

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言葉からの着想。

例えば、カレンダーというものを主題にする場合。
僕らがよく知っていると思っている日常の言葉であっても、いや、そうであればむしろ、
改めて辞書を繰ってみるのは面白い。意外な発見や、認識を新たにすること度々です。

ということで、「カレンダー」という言葉が本来指し示しているものを探ってみましょう。
まずは語源ですね。

その語源では、kalendae というラテン語に行き当たります。
古代ローマでは、夕方、月が見えると「月が見えた!」と叫んだそうです。(本当か?笑)
毎夜叫んでいたという説があるくらいですから、新月明けにはとりわけ大きく叫んだのかも。
なので「叫ぶ」の「カロ/カレンデ」から「カレンダエ」という言葉になったと言われます。
これは「毎月最初の日」という意味です。

太陰太陽暦を含む太陰暦において、月の始まる日といえば、朔(さく/new moon)。
”現代的に言えば”新月ですね。
月と太陽の視黄経が等しくなる状態またその時刻のことで、実際には瞬間的な現象ですが
それを含む日のことを朔日と言います。

なぜ、”現代的に…”と言ったかというと、本来は月の見えなくなる朔(暗月)の後、
初めて見える細〜い月を新月と呼んでいた
から。
古代ローマ人は、ここで「月が見えたぞ!」ととりわけ大きく叫んだわけです。
現代の新月と呼ばれる状態とズレていますね。
そういえば子供の頃、月が無いのにどうして新月と呼ぶのだろうと疑問に思っていたので、
本来の使い方のほうだったら納得出来たのに!と、ローマ人に共感して叫びたくなります。

ローマでは叫んでから逆算し、月齢の起点を計っていたようですが。

newmoon
出典:http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/tarotsakurako/20141112/20141112214846.jpg

言葉からの逍遥。

ちょっと横道に逸れますが、この月の消滅と再生のイメージについては、
絵本の魔術師、エリック・カールの作品に描かれている世界にも触れておきましょう。
世界的ベストセラー絵本「はらぺこあおむし」の作者が、娘に贈った、
夜空を見上げるステキなお話し。

「パパ、お月さまとって!」(原題:Papa, Please Get the Moon for Me)

お月さまと遊びたいというモニカのために、パパは長い長い梯子を月に掛けて持ち帰る。
大喜びで月と遊ぶモニカだけど、そのうち、月が痩せて来て、、ついに消えてしまう。
けれど、寂しい思いをしているモニカの頭上に、再び、、

というようなストーリーで、日本では偕成社から出版されています。
紙面の大きさの限界を破る仕掛けが秀逸で、梯子の長さや、空の高さや、月の大きさを
見事に表現しています。子どもがビックリするような月の巨大さを見せたあと、
それがだんだん小さくなっていく様子がドラマチックに、ちょっと切なく描かれていて。
独特のコラージュ、色彩も美しい絵本で、僕も自分の子どもに何度も読んで聞かせました。
なにしろ「パパ」名指しなので。(笑)

moon
出典:http://quesera230.exblog.jp/i15/

おっと、朔日のことでした。。

日本ではどうだったか。
調べてみると日本では、システマティックな暦が運用される以前は、
農耕のために自然の移り変わりを読む、大らかな自然暦を使っていたようです。
そもそも「こよみ」という言葉も、ふつか、みっか、よっかという日を意味する「か」から、
日(か)を数えることを「かよみ」といったので、転じて「こよみ」になったそう。

でも、月の始まる日は特別に「ひとひ」と呼んでいて、
それもいつしか「月立ち(つきたち/ついたち)」と呼ぶようになった。

正式な暦が百済から伝えられたのは6世紀中頃。
そうして漢語として移入された朔日を「ついたち」と訓読みするようになったらしい。
そう、「ついたち」って、「月立ち」だったんですね。

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言葉への帰結。

ひとつの言葉を巡って思考がローマから絵本から古代日本へ廻り道をしましたが、、

ここで何が言いたいかといえば、
結局、「カレンダー」という言葉にとっては、月の単位がとても重要であるということ。
年単位のものも、週単位のものも、日めくりもありますが、本来的には月単位。
もしくは、新月から満月を経てまた新月へ戻る周期を意識した使用であったり、
新月明けに叫びたくなるような衝動を孕むものであれば、言葉と本来の意味が合致して、
力を得る
ような気がする、、ということです。

その音の響きや、それらが引き連れて来るイメージの群れまで含めて大袈裟に言うと、
いわゆる「言霊」っていうやつですね。

だから例えば、僕たちのアプリPROPELaの中に設定する、日程を扱うような機能に対して、
それをカレンダーと呼ぶのか、あるいはスケジューラと呼ぶのかということや、
その機能が表現するものの根底にどんな概念を置いておくべきか、などということを、
上記のような考察や連想から、思考を巡らせて決定している、、というお話しでした。

言葉って面白いですね。

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