行動アシストアプリ「PROPELa」のリリースまで、ついにあと4日となりました!
いよいよ開発も最終段階。「審査」突入です。
アプリをapp storeで販売/配布するためには、公開前に審査があります。
Apple の Developer サイトには、アプリケーション審査に関して次のような説明が。
…審査プロセスの目的は、App Store や Mac App Storeで公開される
アプリケーションが信頼できるものであり、期待どおりに動作することと、
露骨または不快な表現が含まれていないことを確認することです。…
販売するのに相応しいものであるか、技術、コンテンツ、設計の基準に従って審査を受け、
通過する必要があるのです。
僕たちも、3日前にその審査申請に滑り込みで提出。
審査に掛かる平均時間(日数)からすると、実はギリギリのタイミングでした。
リジェクトされないよう作り込んだつもりなので、あとは委ねるしかありません。
ティザーサイトのカウントダウン通りに行きますように、、
いま、僕たちチームも祈るような気持ちでいます。
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さて。
前回は「空間」から「時間」への興味の拡大について触れました。
今回は、果たして僕たちはその時間の正体というものに迫れるのか、という、おハナシ。
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時間のカタチを取り出す!
もう随分前の話になりますが、「人にとって時間とは何か」ということを理解するために、
僕は、時間の「姿」なるものを想像しようとしていました。
建築家的なアプローチかも知れませんが、
僕にとっては、モノゴトへの理解と、スガタカタチの構造的な理解はほぼ同じことです。
なので、時間というものに、もし納得のいく姿を与えることが出来れば、
それはそいつの理解にも一歩近づくことになるのではないかと思ったのです。
けれど、相手は「時間」です。
抽象的な概念はあるものの、具体的な形があるわけではありません。これがなかなか難しい。
例えば時計は、その抽象概念の一部を上手く物体に落とした例ですね。
何が素晴らしいかと言えば、あの、回転運動の発明です。
あれは最小の仕掛けで無限を表現しています。
始点も終点もなくずっとグルグル廻り続けるわけです。
でも、あれが時間の形だというのなら、それは乱暴過ぎると思うのです。
だいたい、12時間で1回転というのは地球のサイクルから見て身勝手な設定だし、
12時間よりも長い時間、例えば一週間や一ヶ月という単位、季節、あるいは歴史を
そのコンディションとして映すことも出来ない。
そう言えばMoon Phaseが見える腕時計なんかはあるけど、殆ど装飾の域に留まっています…
別のカタチ。
例えばカレンダーは、プロペラ日記03で触れたように月の単位が基本だとしても、
ひと月ごとに紙をめくるもの、一年をポスター状に一枚で一覧させるもの、いろいろある。
現行のグレゴリオ暦ばかりでなく、旧暦で月の周期に寄り添おうとするものもあるけれど、
何れにしても月を基準に時間を把握すると、今度は1日の時間経過へのフォーカスが難しい。
人間の活動は、1時間、1日、1週間、、という風に基準となるあるリズムを必要としていて、
そのリズムの中の時間的領域を制御するため、スケジューラーと呼ばれるものが登場する。
そこには様々なニーズに対応した工夫がされて、一日の活動を18時間もしくは24時間で
記録出来るもの、見開きで1週間、2週間のヴューなど短くセグメントするものから、
逆に一年の全ての日を一直線上に並べた上で、つづら折りに畳んだようなものまであります。

参照:http://bigsounds.tumblr.com/post/15574352112/i-have-patience-she-said-sure-he-replied
限りなく普遍的で、限りなく主観的なもの。
確かにそれぞれよく考えられいて素晴らしいのだけど、僕の考える時間のカタチとは全然違う。
型に押し込めた時間ではなくて、実感としての時間の性質を出来るだけ再現したかった。
限りなく普遍的な存在でありながら、同時に限りなく主観的に変質するもの、、
当時、僕の考えていた時間の性質を言葉にしてみると、下記の4つの大きな特徴があります。
言葉上で定義をして、そのカタチを探る。試行錯誤が始まりました。
まず、手許にある紙を折り畳んで、自分用のカレンダーをつくり始めます。いや、、
カレンダーであり、スケジューラーであり、時計であり、年表でもあるような時間の記述法、
まだ世の中に存在しない時間の具象化の方法を発見しようとしました。
これまでの歴史で人類がまだ試していないノーテイションがあるかも知れない。
微かな希望にすがって、僕はひたすら、紙を折ったり、丸めたり、刻んだり、繋いだり、、
とにかく試していたのです。
けれど、今思えば、その手法は始めから無理を含んでいました。
だって、時間という無限を、紙面という有限の上に乗せようとしていたのですから。
完全に袋小路に入ってしまったと思われた、このあと、、
2つの大きな出来事によって、プロジェクトは転機を迎えます。
次回は僕にとってだけでなく、世界中が衝撃を受けた「あの事件」のことと、
天の導きによる出会いについてお話ししますね。